2012年3月18日日曜日

ジョージクルーニーが逮捕・・?そのわけとは!?

かっこいいですよね。こんな顔で生まれたかった・・。

今回はですね。
スーダン政府への抗議デモ中にジョージクルーニーが一時逮捕された、というお話です。
場所はワシントンのスーダン大使館前。
同国のバシル首相へ向けた抗議デモでした。

ではなぜ抗議していたのか?

スーダンでは今月8日、政府と反政府軍の戦闘がダルフール地区にてあったばかりです。

どうやら、政府と反政府があるようですね。
つまり 政府が何かやらかしている、と想像できます。では、何を・・?

まずスーダンでは2つの異なる内戦が存在します。
1つは先ほど述べた、ダルフール紛争。もう1つは南北内戦。







まず南北内戦ですが・・・、
イギリスの支配下にあったころのスーダンでは「分割統治」が採用されていました。
これは、民族的にだいぶ異なる北スーダンと南スーダンを対立させて・・・
イギリスへの不満を逸らす
こういった目的がありました。

さて、スーダンは独立した というところまで話を飛ばします。

この時のスーダンの代表は北部人でしたから南からの反発もありました。
さぁ南北問題は被害の補填などでお金がかかってしょうがないので、早く解決させてしまおうと・・いうことで、一応は和平しました。エチオピアのなんたらかんたらで。


しかし和平後の政権、ニメイリ政権によりスーダンは一気に借金まみれへ。
そこでニメイリは石油の採掘とジョンレイ運河の建設で乗り切ろうとします。

ここで・・・
石油は南部に集中していますから、北部が南部を搾取する形が出来上がってしまうのです。

そんなこんなで、結局 南北の亀裂は深く・・・。

こんな中1983年に立ち上がったのがSPLM/A(スーダン人民解放戦線・軍)です。
これは南部の政府軍兵士が大多数を占める軍でした。

ニメイリは彼らを無視した結果、民衆に打倒され、今のバシル政権へと変わったのでした。




バシルは最初こそSPLM/Aと交渉をしますが、
イラクのフセイン、リビアのカダフィと関係を結んだことと、政府の中心がイスラム原理主義になっていたことで強気になり、交渉をやめてしまいます。
ここから、政府軍と反政府軍の対立が生まれたのでした。

みなさん知ってのとおり、フセインもカダフィも今はいません。
フセインが消えてニメイリは強気なことを言っていられなくなり、2004年には和平協定を結んだのでした。


さて、解決!!と思いきや、ダルフール紛争が起こっていたのでした。。





これはスーダン地域に住んでいたフール人リザイカート人の争いです。
で、リザイカート人というのはアラブ系なので、イスラム教・・つまり政府と仲がいい。

ということで彼ら、リザイカート人は政府の援助を受けたりしながらフール人を集団虐殺(ジェノサイド)していたのです。


これが本当におおまかな内容。かなりはしょってます。

で、話を戻すと、
ジョージクルーニーはスーダン政府のジェノサイドを止めろと抗議しているのです。

ジョージクルーニーのすごいところはですね・・。
政府を監視するために・・・人工衛星を打ち上げて、監視しているんです。
器が違いますね。いくらかかってるんでしょうかね。

ということで、今後も彼に注目!

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